2011年8月10日水曜日

長崎




科学技術に絶対はない。だからこそそのリスクを最小限にするような防御策をとらなければならない。想定外という言葉は言い訳である。そうした言い訳がまかり通るとしたら、それは核の災禍を受けた国であるにもかかわらず、それを完璧に平和利用できると慢心してきたからではないだろうか。さらには、核の災禍を受けた国で生活しようとも、この時期に放映されるドキュメンタリーやドラマは単なるテレビ局のルーチンワークで、結局のところどんな災禍があったかなんて、耳から耳に通り抜けていたからではないだろうか。

東日本大震災以後、原発についてつらつら考えることがあったが、ある時ふと広島と長崎の原爆についてよく知らないことに気づき、猛烈に自分を恥じた。そしてようやく諸々のことが一段落したので、生まれて初めて長崎に行き、原爆資料館に足を運んだ。精神の高ぶりのため、その晩はとても眠りが浅かった。それだけショックだったということだ。

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