2012年3月20日火曜日

10年

「あれから40年」といえば、綾小路きみまろの十八番。もしも40年後に私が生きていて、何かの調子に「大地震に大津波で福島の原発がやられ、放射能が飛び散りました。あれから40年!」とその調子にのせたフレーズを言うことができたら、若くてかわいい母ちゃんが皺皺婆さんになってしまいました的なオチで笑えることのできる世の中であってほしい。とはいってもそんな世の中、全く想像ができないけど。

40年はおろか、10年だって何も想像はできやしない。これから10年先の研究パラダイムの見通しはつかないし、そもそも10年前に、例えば私の分野であれば、Cultural Neuroscienceなんて言葉が出てくることは誰も想像していなかったに違いない。ちょうど10年前に、私は初めて職を得て北海道に行き、その半年後に21COEプログラムが始まったのだけど、それから月日が経ち、その後続のグローバルCOE総括シンポジウムとやらで、こんなに社会心理が脳科学と接近してしまうなんて、誰が想像していたのだろう。元指導教官、北大の2人の上司といった日本人の社会心理学者の(個人的な)ビック3が、こぞって脳科学に手を染めるなんてことをもしも10年前の私が知っていたら、おそらくその時点で研究の方向性をがらっと変えていたのではないかと思う。

ただ幸か不幸か、楽しくもあり、恐ろしくもあるが、ともかくこの先の10年がどうなっているのかは誰にもわからない。有難いことにその点に関しては、誰もが平等である。研究者として、自分を信じて、やりたいことに向けて邁進するしかない。その過程でどういった人と出会い、どういったチャンスがあるのかわからない。せいぜいできるのは、過去のさまざまな経験を振り返り、そこでの学習をもとにしていくことぐらいかもしれない。この10年間を振り返ったときに、どんなことを私は学んだのか。いろいろな感情に押し流され、学び損ねたこともたくさんあることに気づかされる。とはいえ、出会いもチャンスも平等に巡ってくるというのは建て前で、その巡り合わせが個人の努力だけでは如何ともならないことを経験的に知り、その結果として、目の前の大海に飛び込んで、我流のクロールで実に効率もフォームも悪いながらも何とか泳ぐことができているというのは、10年間の学びの結果だと思う。さて次の10年、我流のクロールでどこまで進むことができるのだろう。もしかしたら効率やフォームが改善されるかもしれないし、もしかしたら力尽きて果てるかもしれない。繰り返しになるがそんなのは誰にもわからない。楽しくもあり、恐ろしくもある。