2009年9月29日火曜日

35才問題

柳田先生のブログ35才問題、大隅先生のブログ柳田先生の「35才問題」を読んでをたまたま目にしました。そういえば、たまたま目にしたものとして、杉山愛選手が引退するにあたって、彼女の頑張りと団塊ジュニアの時代背景を重ねた(やれやれと思うような)新聞記事もありましたが・・・。

大隅先生が挙げていらっしゃる江崎玲於奈先生の言葉に類似した内容をアメリカにいたとき共同研究者から耳にしていて、35才というのは、私にとって1つの壁としてそびえていました。ただ実際にそこに来てしまうと、もちろんその前後で急に何か変わるわけでもなく、あっけない感じがとてもしました。もちろん、柳田先生や大隅先生が書かれているその点においていろいろなそこはかとない不安はあるのだけど、別にそれは35云々ではなく、その前(おそらくこの道を進み出したころ)からずっとあり、しかもそのときから「不確実であること」はずっと続くだろうなあという予感はあったように覚えています。

時代背景を重ねるのはあまり好きではないのですが、こういった昔からのそこはかとない不安は、新聞記事の言葉を借りれば、同世代の人数が多いことによる競争のせいとか、バブル崩壊やその後の不況のせいとかになるんでしょうか。賛否両論あるでしょうが、それでは(柳田先生のブログで書かれているような牧歌的な)昔のシステムがいいかと言われれば、個人的には、そうは思いません。少なくともこの道において、高い不確実性というのは決して悪いことではないし、そういうそこはかとない不安は往々にして内省を促し、モチベーションの一部へと転化されていると思うからです。ただもちろん、こういったスピリットを絶やさないようにするには何らかのポジションに就いていることが必要で、そのためにも特に大隅先生が挙げていらっしゃるような一種のコーディネーター的な職がもっと増えていったらいいのですが(実際この手のことは、一握りの助教が「適性」なんてお構いなしにやっているわけですから)・・・。

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