採点、院入試、口述試験が終わり、時間に余裕ができたので、先週末の前期試験の試験監督を終えたその足で仙台に向かい、山元町で側溝の泥出しのお手伝いをしてきた。昨年の夏まで立ち入りが制限されていたせいで復興が遅れているのに加え、約1年経ち、一度この土地を離れたものの再び戻り、ここでの生活を望んでいる人たちがそれなりにいるため、ボランティアの手伝いがまだまだ必要とのことだった。
各人が自分のもっているリソースと相談し、余裕のあるときにそれを差し出していくしか、残念ながら道は開けない。非力な自分につい嘆きなくもなるが、たとえ単なる自己満足であろうとも、嘆く前にまず行動しなければ何も始まらない。
ほぼ日刊イトイ新聞「山元町と手をつなぐ。」
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