Social Cognitive and Affective Neuroscience誌で、Cultural Neuroscienceの特集が組まれ、私が携わった研究も掲載されています。私の所属先からこの最新号の目次とアブストラクトしか見ることができないので、内容については何とも言えないのですが、思ったよりもかなり多くの論文が掲載されていて驚きました。もっともすべてが実証研究というわけではなく、レビューもそれなりの割合含まれているようなので、関心は高いけどまだまだといった感じでしょうか。
ここ2年ぐらい、残念ながらこの領域に対する私の考えにあまり進展がないのですが、この手の研究を進めることの良い点と不満を思いつく限り書いてみます。
良い点は、認知の文化差という物言いをする際、文化という要因が情報処理のプロセスのどの段階で影響を与えるのか、また情報処理のメカニズムを考える際、文化差がどのように表現されるのかという問いに対して、これまでの反応時間をもとにした研究では限界がありました。しかしfMRIやERPなどのアプローチを用いることで、それらの問いに対して示唆を若干与えることができるようになったと思います。ある情報を処理する際に異なる文化の人々は異なる脳部位を使っているという仮説はナイーブすぎるというのがその1つの例です。またERPもうまく使えば、P300等の指標に注目することで、処理のかなり早い段階から文化差が見られることもわかってきています。
不満として、これは正直なところ何を知りたいのかに依存すると思うのですが、マクロ現象としての文化を説明する際、例えば人の神経基盤の文化差がわかったところで、それはどう貢献するのかというのがよくわからないというのがあると思います。つまり何を説明したいかによっては、行動を見れば十分で、神経基盤における知見が積まれてもそれは冗長だという反応はあるかもしれません。「マクロ現象としての文化を想定すると、文化Aではある状況のもとでは人は行動Aをとりますが、文化Bではその状況のもとでは人は行動Bをとります。また別の状況では、行動A'と行動B'という対比が出てきます。そういった行動の差異と対応する形で、神経基盤も異なります」というのが今のところ可能なアプローチで、おそらく今後も続くと思いますが、個人の情報処理の仕方に関心を置かない限り、単に昔の知見の焼き直しに過ぎないという反応があって当然でしょう。
私はもともと個人の情報処理の仕方に関心がある人間で、それ故にこの領域にコミットメントすることは本望なわけですが、もちろんだからといってマクロ現象としての文化を軽視しているわけではありません。当該の文化におけるさまざまな相互作用を司るルールが私たちの物の見方を作り、その相互作用が埋め込まれた状況や物事に付された意味を私たちは能動的に理解しようとしています。そしてある一定の物の見方によって生まれる行動パターンがそのルールの維持・変容につながります。ただ現状では、そういった理論的な背景を前提としているという枕詞に終始しがちです。これは社会心理学者がこの分野に切り込んでいく上で、克服しないといけない点かもしれません。克服できないような気もするのですが、ただこれを前面に出していかないと社会心理学の立場から発信していく意義はなくなるように思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿