2009年3月30日月曜日

今月

ものすごく辛い月だった。たぶんいろいろと感情的になってしまう出来事があったからだろう。本来3月とは、新学期に向けた充電期間であるべきはずなのに、それが全くできなかった。こんなんで大丈夫なんだろうか。

外は雪で、本州からちらほら聞こえてくる桜の便りとも縁遠い。

(追記, 4/1)いい訳めいてしまうが、この3月に実質的に北大で初めて卒論・修論を指導した学生を送り出したというのに、そんなこんなで彼らに対して大したはなむけもできなかった。社会に出るということは、世界が広がること(ただしそれは新たな発見や出会いといったポジティブ方向のみならず、価値観の異なる人間とのコンフリクトや理不尽な経験といったネガティブ方向への広がりでもある)であり、そこでもがくことこそ生きることなのだと思う。そういったもがきがもはやできなくなってしまった友のことを思うと、自分自身まだまだもがかなければと思うし、巣立っていった学生たちも精一杯もがいてほしいと思う。

2009年3月18日水曜日

合同研究会

昨日、一種の気分転換も兼ねて、北海道医療大学と同志社との合同研究会に行ってきました。有意義であったのに加え、励みになる言葉もいただき、参加してよかったです。
プログラム

2009年3月15日日曜日

エンスト

自身の「エンスト」により、しばし休憩。ネットに接続しない数日間は、異なったライフスタイルを余儀なくされ、いつもより長く感じられた。久々に中島敦に触れ、「李陵」や「名人伝」といったお気に入りと比べいまいちだなと思っていた「山月記」や「文字禍」も案外よいことに気づき、そして大学生の頃はほぼ制覇していたのに、近年はすっかり魅力を感じなくなっていた沢木耕太郎の最近の作品を一気に読んで、昔と同様の読後感にひたっていた。もしかするとエンストで随分とやられていたから、何でもおもしろく読めてしまっただけかもしれないけど。

中島敦 (KAWADE道の手帖)
沢木耕太郎「凍」

2009年3月2日月曜日

何によって憶えられたいか

少し前にドラッカーの「プロフェッショナルの条件」を読み、なるほどと思う点がいろいろあった。特に、本の最後に書かれていた「何によって憶えられたいか」という言葉にはぐっときた。これを肝に銘じることは、当然どういった研究をやっていくかと大きくかかわってくる。もちろん打算的になるのはまずいが。